SCHOOL/WORKSHOP

「ふだん着の久留米絣展」はじまりました(〜5/19・日まで)

update

昨晩は、迷いました。
完成する予定だった、もう1点の作例。
身頃と衿ぐりまで縫製したところで、「いや、違う。。。ダメだこりゃ」。

時刻は深夜1時。
1週間どっぷり、遅くまでの作業が続いて、体力的には。。。でしたから
僕が「そのまま、行こう。」と、言っていたら、行っていたかもしれません。

そのままいけば、作例が全部揃った形でスタートを迎えられました。
でも、ダメだと思いながら押し切らずに(あきらめずに・手を抜かずに)よかったです。
1日遅れで、今イメージ通りのものが完成して
発表するのが待ち遠しく、ワクワクしています。

着丈、裾のライン、前立ての長さ、ボタンの位置、タックの必要性と意味、ちらりと見える裏地の領域。。。
服のデザインについて、専門的に学んだことがない僕が「感覚」だけを頼りに
もう一度、デザインを練り直す。
ミホ先生にアイデアを投げ、イメージ通りの形になっていく。
「やっぱり、作り直して正解、すっごく良くなった。昨日のまま行かんでよかったね」
そんな話をしながら、自分が「デザイナー(=デザインをするひと)」ではないという認識に変わりはないものの
単純に「デザイン(=つくること)は楽しい」、そう思いをあらたにしました。

デザイニング展への出展のお誘いを頂いたとき
なぜか「きっとおもしろいことができる、思いつくはず」と、思ってはいました(笑)
が、「デザインのイベント=デザイナーさんの(デザイナーさんから一般の方へ発信する)イベント」のイメージもあって
「デザイナーでもない、じぶんたちは場違いではないか?」 と恐縮していました。

「デザイナー(=デザインすることを仕事にしているひと)」のすごさ・大変さがわかるから
僕は「デザインをしている」とはおこがましくて、とても軽々にいえません。
デザインを仕事にしているひとは「デザインしたもの」について
批判を受ける宿命にあります。

あるひとにとっては、「いいデザイン」であっても
ある人にとっては、「よくわからん」のひと言で
バッサリ斬られる。(僕はそんなことをいわれたらイヤです)
「良い・正しい」ではなく、時に「好き・嫌い」で評価される。(つらすぎます)

その一方で、僕は「布地屋さん」という、特に批判を直接受けることはない安全な立ち位置から
布地に関して、日々好き嫌いで仕入をし、時に賞賛・侮蔑し、時に今回のように
「こうあるべきだ」と服について語ることすらあります。
これは布地屋さんであるうちは、全然問題ないことだと思っていますが
「デザイン」というくくりをされたとき(=デザインイベントへ参加するとき)
この安全地帯にいる自分が図らずも卑怯な感じがして、ふわっふわっと据わりが悪い。

そして、今日。
デザインにこだわる僕の意見を聞き入れて
ミホ先生は作り直してくれました。
思い浮かべたイメージ通りの1着が出来上がりました。

クライアントがいるわけでもなく、批判にさらされることもないんですが
「久留米絣をつかって、こんな服ができるんですよ」
「服をつくるって、楽しいですよ」ってことを伝えるために
悩んで、頭をひねって、布を重ねてみて、縫い直してもらって
ようやく伝わるかなというものができたときの楽しさ、喜びといったら。。。

僕がデザイン を語ることの資格の有無は別として
「デザイン(=つくること)は楽しい」です。

デザインやアートって、「わかるひとにはわかる」
逆に「わかってないと近寄っちゃいけない」ような
閉じたところがある、少なくとも僕はそう感じるところがあります。

でも、「感覚」でいいと思います。
もちろん、「好き嫌い」でいいと思います。

僕たちの「ふだん着の久留米絣展」も
楽しそうかも?と思ったら、ふらっと立ち寄ってみてください。

デザイニング展2013の各イベントは開催時間帯がなるべく
重ならないようにスケジュールが組まれています。
「感覚」と「好き嫌い」で、気軽にハシゴして
遊びにいってみてください。(写真のピンクのフラッグがイベントスペースの目印です。fabちゃんは窓から出しています)

デザインは楽しいですよ。